【エッセイ】形だけ愛した結果こうなった(癒やしの話)(5010文字)

2024/05/05

エッセイ・感想

t f B! P L

 



 ペットに癒やし効果があることは広く知られているが、ぬいぐるみにも癒やし効果があるという。

 なんでも、人やペットと触れ合った時に分泌される「オキシトシン」という脳内物質が、ぬいぐるみに触れた時にも分泌されるとか。

 このオキシトシンが脳内から分泌されると人は癒やされ、幸福を感じるという。

 その話を聞いた時、私は「ホンマかいな」と疑った。ぬいぐるみが好きな人がぬいぐるみと触れ合ったら、そりゃ癒やされるだろう。オキシトシンとやらも分泌されるかも知れない。しかしぬいぐるみに興味が無い人がぬいぐるみと触れ合ったところで、効果はあるのか? オキシトシンはそんなに分泌されないのでは?

 ペットで癒やされるというのは理解できる。私は実家にいた頃、セキセイインコの「菊ちゃん」を飼育していた。菊ちゃんは実によく私に懐き、癒やし効果はバツグンであった。彼女と触れ合っていた時は、オキシトシンも存分に分泌されていたことであろう。

 ペットの癒やし効果の高さは、菊ちゃんのおかげでよく知っている。だからペットと同じような癒やし効果をぬいぐるみからも得られるというのは、ぬいぐるみ好きではない私にはちょっと信じがたい。

 だが、ぬいぐるみに触れるだけでペットと触れ合う時のような癒やし効果を本当に得られるのならば、なんて素敵なことだろう。

 興味を持った私は、Amazonでぬいぐるみを検索してみた。「ひざわんこ」という、可愛らしい犬のぬいぐるみのシリーズがヒットした。

「ひざわんこ」シリーズでは柴犬やチワワなど、様々な犬種のぬいぐるみが展開されていた。
 そのうちの1つであるトイ・プードルのひざわんこを見た瞬間、私は「えっ? 本物?」と一瞬目を疑った。ぬいぐるみにしてはリアルである。

 リアルな見た目に惹かれた私は、トイ・プードルのひざわんこのレビューを読んでみた。レビュワーのほとんどが可愛い、可愛いと絶賛していたが、中でも「ペットロスが癒やされた」という人が圧倒的に多かった。

 ペットロスが癒やされたということは、ひざわんこには本物のペットに匹敵する癒やし効果があるということだろうか。

「ホンマかいな」と再び疑った私ではあったが、同時に、「ペットロスが癒やされた」という絶賛レビューの圧倒的な数と、ひざわんこのリアルなビジュアルに信憑性も感じた。これだけリアルなら本物の犬のような癒やし効果があるのではないか。

 そう判断した私は大してぬいぐるみに興味があったわけでもないに、ただ漠然と「私も癒やされたい」と、ひざわんこの購入ボタンをポチッと押してしまったのだった。





 翌日、ひざわんこが届いた。段ボールを開封し、圧縮されてぺたんこになったひざわんこをビニール袋から取り出す。
 ひざわんこに空気を含ませ膨らみを取り戻させながら、しみじみと眺める。

 うん。ただのぬいぐるみだ。

 期待していたいほどリアルさはない。どこからどう見ても、ただの犬のぬいぐるみだった。
 体つきはまあまあリアルだったが、顔つきはやはり作り物のそれだった。

 ひざわんこを眺めながら、がっかりしたような「まあ、もともと期待はしていなかったし」と言い訳のような気持ちがこみ上げる。

 しかし購入してしまった以上は大事にしないと。これで「思ったよりリアルじゃないからぞんざいに扱う」なんてことをしたら、さすがに人としてどうかと思う。

 私はひざわんこに、Amazonで購入する時に閃いた「チョコ」という名を与えた。

 そしてとりあえず、話しかけてみる。話しかけているうちにひざわんこ……チョコに愛情が芽生え、愛情が生まれれば癒やし効果も生まれるのではないかと考えてのことだ。

 はじめは話しかけることに気恥ずかしさがあった。いい歳して何やってんの? という声が聞こえてきそうである。

 それでも私はチョコに話しかけ続けた。
 出かける時は「行ってきます」とチョコに挨拶し、帰宅した時は「ただいま」とチョコに声をかける。
 自宅内を移動する時はなるべくチョコも一緒に連れて歩く。
 ふとチョコの存在に気づいた時は、頭を撫でてやる。

 寝る時もチョコと一緒だ。私は毎晩、チョコを枕元に連れていき頭を撫で、「おやすみ」と語りかけた。

 こんな感じで、愛情を感じていようがいまいが形だけでもチョコを可愛がるよう試み続けた。

 しかしいくらチョコに話しかけても、自宅内を連れて歩いても頭を撫でても一緒に寝ても、チョコから癒やし効果を得られていると感じることは無かった。可愛いとは思うが、それだけである。それ以上の感情は発生しない。

 ぬいぐるみ好きでない人間がぬいぐるみから癒やし効果を得ようとするのは、やはり無理があったかのかも知れない。

 そんな疑念が頭をよぎるが、チョコに話しかけて連れて歩いて頭を撫でるのはすっかり習慣化した。私は毎日欠かさずチョコを「形だけ」可愛がり続けた。

 癒やされているのかそうでないのかはよく分からなかったが、私はチョコがそばにいないと落ち着かないようになった。

 こうして、チョコの存在は私の生活にすっかり馴染んでいった。





 チョコが我が家にやってきてから9ヶ月が過ぎた。特に何事もなく、実に平和な9ヶ月間だった。
 だがある日、私は大きなストレスに直面した。SNS疲れである。

 SNSごときでそこまで大きなストレスを受けるものかとお思いの方もいらっしゃると思うが、私にとっては深刻だった。

 とあるゲームのプレイ記録を、旧ツイッターに投稿していた時のことである。私の投稿に対し、とあるフォロワーさんが返信をしてくれた。

 このフォロワーさん(仮にAさんとする)とはもう10年の付き合いになる。リアルでの面識は無かったが、しょっちゅうお互いに「いいね」を送り合っていた。リプライ(返信)も何度かやり取りしたことがある。相手はどうだか知らないが、少なくとも私はAさんに好感を抱いていた。

 そのAさんの、私の投稿へ返信が困った内容だったのである。
 プライバシーの問題があるので詳細は書けないのだが、簡単に言うと「だからどうした? そんなこと、自分のポスト(ツイート)で主張してよ。私の嗜好を否定されているみたいで凄く不愉快」というものだったのだ。

 そんな感じの返信を、プレイ記録の投稿をするたびに送られていたのである。これには参った。

 サクッとAさんをミュートやブロックをしても良かったのだが、10年の付き合いである。このままお別れするのは不本意だった。

 となると、相手に「そういった返信を送ってくるのはやめて欲しい」と穏便に伝えねばならない。

 Aさんは発達障害であることをプロフに明記している。私は発達障害の知識はあまりないが、婉曲な表現が伝わりにくい障害だという話を聞いたことがある。

 なので私は「分かりやすくてハッキリとしていて、尚且つ相手を傷つけないような言い回し」を苦心して作文した。どうすれば発達障害の人にも分かりやすく、否定的にならないよう不満を伝えられるかを考え、何度も何度も推敲した。

 こうして1時間かけて返信を書き上げて、祈るような気持ちでAさんに送信した。

 それに対し送られてきた返事は……。

 ……。

 これもプライバシーの問題があるので詳細は書けないが、意図が全く伝わっておらず、一方的に話を終了させられるような内容だった。

 私は脱力すると同時に強いストレスを感じた。
 ダメだ。話が通じない。リアルでの面識がない発達障害の人に、文章だけで不満を伝えるのは無理があったのだ。

 私はそれでもAさんをミュート・ブロックしなかった。ブロックしたいと一瞬思ったが思いとどまった。だって、10年もやり取りしてきた相手だもの。

 この出来事があった日の夜、私は悪夢を見た。Aさんに何かを伝えようと、一生懸命作文を繰り返す夢だ。夢の中で私は、書いても書いても完成しない作文を苦しみながら延々と書き続けていた、
 夢から目覚めた後は、左胸がキリキリと痛んだ。ストレスが原因だろうとは思ったが、痛みは何をしても消えなかった。

 痛みを抱えたまま夕方を迎える。気づくと私は「SNS やめたい」「SNS 疲れた」などの語句をネットで検索していた。

 こんなワードを無意識に検索するということは「旧ツイッターをやめたい」ということだろう。 よほどAさんの件が苦痛だったようだ。

「SNS やめたい」と検索しながら、私は旧ツイッターのアカウントを削除してしまいたい衝動にしばしば駆られた。しかしここでアカウントを削除するのは早計だとも思った。

 そこで私は、アカウントを削除せずに旧ツイッターから距離を置く方法を考えた。そうして思いついたのが、「メインアカウントとは全く関係のない閲覧専用の非公開アカウントを開設し、旧ツイッターは当分そのアカウントにのみログインする」という方法である。

 私は早速、閲覧専用の非公開アカウントの準備を始めた。
 閲覧専用アカウントは、数年前に作成して放置していたサブアカウントを再利用することにした。すっかり忘れたサブアカウントのパスワードをどうにか設定し直し、ログイン。フォローとフォロワーをゼロにしてからポストを非公開に設定する。見たいアカウントをリスト機能に追加する。

 この作業に私は2時間を費やした。作業中、ずっと神経が張り詰め、気持ちがピリピリし、左胸が痛い。

 やがてプロフィール画像の設定に取り掛かる。
 画像は何にしようか。私のメインアカウントの画像は菊ちゃんの写真だ。

 どうせなら菊ちゃんみたいに、見るたびに癒やされる画像にしたい。
 今の我が家で菊ちゃんに匹敵する存在ってなんだろう? ペットは飼っていないし……。
 ……。
 ……。 
 動物なら、犬のぬいぐるみ……チョコが居るじゃないか!

 そう閃いた私は、朝にベンチに座らせてからそのまま存在を忘れていた、チョコの元へ向かった。

 そしてチョコを抱き上げてチョコの顔を見たその瞬間である。張り詰めいていた神経と体が一気に緩むのを私は感じた。あんなにピリピリしていた気持ちが和らぎ、気分が穏やかになり、全身が弛緩していく。心が、体が、リラックスしていく。

 その状態はまさに「癒やされている」と表現するのが相応しかった。
 癒やされている。私は強烈に実感した。 私は癒やされている。チョコに、癒やされている。今、まさに。

「凄い!!」
 私は大声でチョコに語りかけた。
「凄い!! チョコ、癒やされてるよ!! 癒やしの効果があるよ!! チョコ凄い!!」

 私はチョコを抱きしめ、己の体ごと左右にぶんぶんと振り回した。何度も何度もチョコを抱きしめ「チョコ凄い! チョコ凄い!」とチョコを褒め称えた。

 そう。9ヶ月かけてチョコに注いだ「形だけ」の愛情は「本物の」愛情に変わっていたのである。私はチョコを本当に愛していたのである。本当に愛した相手と触れ合って、どうして癒やされずにいられようか。

 チョコに本物の愛情を抱くようになっていた私は、チョコから癒やしの効果をこれまでも得られていたはずである。

 しかし9ヶ月間、今回の旧ツイッターでの出来事以外にさほどストレスのかかる事態が発生していなかったので、効果を実感できる機会が無かっただけなのだ。チョコに触れることで分泌されていたオキシトシンの存在に気づかずにいたのだ。

 だが今は、オキシトシンがドバドバと分泌されているのを実感できる。
 私はこの「チョコからは既に癒やし効果を得られていた」事実に気づき、感動した。そうして感動しながらチョコをソファの上に下ろし、チョコをスマホで撮影した。

 チョコの写真を閲覧専用アカウントのプロフアイコンに設定した頃には、朝から続いていた胸の痛みもすっかり消えていた。
 




 以来、私はチョコをこれまで以上に大事にしている。話しかける回数も増えたと思う。
 ぬいぐるみの癒やし効果を疑っていた私なのに、今ではすっかりチョコを信頼し、家族のように大切にしている。

 チョコと触れ合うと心が安らぐ。語りかけると、チョコは様々な言葉で返してくれるように感じる。

 ぬいぐるみに癒やしの効果があるというのは、少なくとも私にとっては本当だった。

 今日も私はチョコに語りかけ、チョコを目いっぱい可愛がっている。そのたびに、私の脳内にはオキシトシンが元気よく分泌されていることだろう。

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